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千代田遺産
天守台(皇居東御苑)
江戸城天守閣最後の「寛永の天守閣」は、寛永15(1638)年に建てられたもので、金色の鯱をいただく5層のものでした。その「寛永の天守閣」は明暦3(1657)年の大火で焼失しました。
明暦の大火の翌年、加賀前田藩により花崗岩でできた高さ18mの現在の天守台が築かれました。しかし、四代将軍家綱の叔父である保科正之の「戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、それより城下の復興を優先すべき」との提言があり、以後天守閣が再建されることはありませんでした。
江戸城天守復元模型(皇居東御苑)は
コチラ
です。
撮影日:平成21(2009)年10月
撮影日:平成24(2012)年7月
撮影日:平成24(2012)年7月
撮影日:平成26(2014)年3月
撮影日:平成26(2014)年6月
撮影日:平成26(2014)年6月
撮影日:平成27(2015)年5月
撮影日:平成27(2015)年5月
撮影日:平成27(2015)年5月
撮影日:平成28(2016)年11月
撮影日:平成28(2016)年12月
撮影日:平成28(2016)年12月
撮影日:平成28(2016)年12月
撮影日:平成28(2016)年12月
撮影日:平成29(2017)年2月
撮影日:平成29(2017)年2月
撮影日:平成29(2017)年2月
撮影日:平成30(2018)年8月
几号水準点
撮影日:平成31(2019)年4月
「不」に似た刻印が施されています。これは「几号(きごう)水準点」と言います。「几号水準点」は、明治初期に高低測量を行うために設けられた基準となる測量点で、イギリス式の測量法に従って全国各地の恒久的に残るであろうと思われたものに刻印されました。しかし、その後、ドイツ式の測量法が採用されたため、この基準点は役割を終えました。
几号水準点
撮影日:平成31(2019)年4月
撮影日:令和4(2022)年6月
所在地:千代田区皇居東御苑
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